2004年10月

リョウコのおはなし-その2(おどろきの青春時代2)-

続きを待っていた読者のみなさま、お待たせ~。先日の続きを紹介します。まだ読んでない人は27日のブログを読んでね。

両親に連れられて、実家に戻ったリョウコ。働きもせず、しばらくはふらふらしていた。ふらふらしていたら、錆びた釘を踏み、足に怪我をしてしまった。
しかたなく、近所の診療所に治療を受けに通った。診療所の「オー先生」は、リョウコに定職がないことを知ると、

「暇なら(洗濯をして)乾いた包帯を巻いていけ」
「この人に包帯を巻いて」
「ちょっとこれを持って」

と、上手にリョウコに仕事をさせるようになった。診療所の仕事に興味津々のリョウコは(たぶん)なんの疑問もなく、それをこなしていった。

傷も治ったある日、
「看護婦の仕事も慣れたみたいだから、学校に行って資格を取ってきなさい」
とオー先生に言われたことで、看護学校に行き、資格を取ったのだった。

さらに、オー先生は「往診時に運転してほしいから」と、リョウコに車の免許を取る援助を申し出て、リョウコは村で一番最初に運転免許を持つ女性となった。

こうして、リョウコは看護婦兼運転手として、診療所で働くことになった。そんな毎日は結婚してえみぃが生まれるまで続いたそうだ。。

えみぃが生まれてからずっと違う仕事に就いていたリョウコだったが、40歳をすぎて職探しをしたら、正社員として雇ってくれる場所が、パチンコ屋のホール係と看護婦しかなかった。
「ホール係りになると(パチンコが)できなくなっちゃうから」という理由で看護婦に返り咲いたのだった。

これ、嘘みたいだけど、ホントの話。リョウコの人生は、こんなエピソードがいっぱいあります。さて、次はどんなお話をしようかな。

<番外>
国道18号も舗装されていなかった当時、村に2台ほどしかない車(しかもスカイライン)を運転できることは、リョウコにとってこの上ない喜びだった。
往診時はもちろん、仕事が終ったあとのドライブも楽しんでいた。が、楽しみすぎて畑に落としたり、横転させたり、、、とにかくいろんなことをしてオー先生に迷惑をかけたらしいよ。

リョウコのおはなし-その2(おどろきの青春時代1)-

リョウコが看護婦であることは、前回説明したが、今日はなぜ看護婦になったのか、という部分を紹介しよう。

リョウコの母:トクの実家は、千葉県で大きな工場を営む裕福な家だった。中学を卒業したリョウコは、その工場で働いていた。
その家には、芸能通のおばが居て、時々東京に一緒に出かけては、映画や芝居鑑賞などをしていた。そのうち、なにを勘違いしたか「私もスターになりたい」という思いがリョウコに芽生えた。おばの引き合わせで、某大女優「朝○雪○」に直談判、つき人にしてもらえることになった!

ところが、当時の芸能界というものは、田舎の両親にとっては想像を絶する危険な世界でしかなく、そんなところに娘を入れられん怒りと激怒。リョウコは許しを得られないとわかるやいなや、千葉の家を飛び出し女優の自宅へむかった。

しかし、「ご家族の了解を得られないなら、付き人にする訳にはいかない」と受け入れてもらえなかった。どうしても付き人になりたいリョウコは家の前で座り込み。警察に通報され、留置所に1泊するハメになった。

翌日、迎えに来た両親に連れられて長野に帰ったのであった。 長くなったので、続きは次回。。。
ちなみに、この話はノンフィクションだが、リョウコの弟(当時未成年)の記憶によるものなので、リョウコ本人の言い分(真実)とは若干異なるところがあるかもしれない。

人生で最長の地震

最初の揺れは、昨日の夕方上田の友人宅で感じた。

こたつにあたって話をしている最中、なんだか体が揺れているのを感じた。ゆっくりとした横ゆれだった。友人と「揺れてるね」という話をしていたら、だんだん揺れが強くなり、台所で食器が割れたような音が。そして、揺れはなかなか収まらなかった。
心配性の友人が「外に出たほうがいいのかな」と言ったあたりで、やっと収まった。体感で2分ぐらい。えみぃの人生の中で、一番長い地震だった。
すぐにテレビをつけて確認すると、中越が震源の地震で上田は震度4とのことだった。「すごい、大きな地震だったのかなー」と言っている間に、また揺れた。また大きい、長い。
心配になって家に電話した。オットが「パソコン棚が揺れて落ちそうだったから、支えていた」とのこと。家のあたりは、最初の揺れで震度5弱だった。

30分ぐらい様子を見て、家路についた。帰り道は想像を絶する混雑だった。2時間ほど運転してやっと家に着いた。えみぃの顔を見たオットの第1声は
「怖かった~」
オットの話によると、えみぃが運転中にも何度も揺れたらしい。パソコンが心配で、仕事部屋を出られなかったとか。1人にしてごめんね&パソコンを守ってくれてありがとう。

心配だったので、パソコンを棚から下ろして寝ることにした。案の定、夜中にも大きな揺れがあったらしい。えみぃは全く気がつかなかったが、オットは目が覚めたと言う。もう少し大きい揺れになったら(えみぃを)起こそうと思ったが、さほどではなかったから起こさなかったとのこと。
今朝も10時ごろ震度3の揺れがあった。

テレビやラジオの報道で、中越地方でたくさんの人が被災していることを知った。地震によるショックで亡くなった方も居るとか。想像しただけで怖くなった。まだ余震が続いているらしいが、とにかく1日も早い復興をと願うばかりである。

遠方の友人から心配メールが届いた。心配してくれてありがとう。えみぃは大丈夫だから、安心して。

呪いは解けるのか

結局、ヤ軍の2連敗で、赤軍がワールドシリーズ進出となった。
オットは「もう松井が見られない」とかなりがっくり悲しい来ていたが、えみぃは赤軍の優勝もいいのでは~と思っていた。

メジャーリーグに詳しい人にとっては周知のことだが、赤軍は「バンビーノの呪い」によって、1918年のワールドシリーズ優勝依頼、一度も優勝がないのだ。
バンビーノとは、ホームラン王として有名なベーブ・ルースの愛称。1920年1月に赤軍が12万5000ドルと引きかえにヤ軍に放出したことから、彼の呪いで赤軍が優勝できないと言われている。ワールドシリーズで優勝すると呪いが解けるとファンは信じているのだ。えみぃも、呪いが解けるところを見てみたい。というか、呪いが解けた!ときの赤軍のファンがどんな反応をするのか、見てみたかった。

でも、、ヤ軍に勝った喜びのあまり暴徒化した赤軍の騒ぎに巻き込まれて女性がなくなったという悲しいニュースを見た。うれしいのに何故暴徒化?理解できん怒り
ということで、カーディナルスを応援することにした。田口くん、頑張れ~。祝日

NY vs Boston その後

第2戦、マルチネスはなかなかの好投だったが、ヤンキース(以下ヤ軍と略す)の大砲軍団には勝てず2敗目、第3戦は大砲軍団が大爆発でレッドソックス(以下赤軍と略す)は粉砕。3連勝となったヤ軍は優勝に王手をかけた。
第4戦も、ヤ軍優勢でゲームが進み、ストレートで優勝?と思われたが、最終回に赤軍が同点に追いつき延長戦に突入、12回にまさかのさよなら負けとなってしまった。

そして迎えた今日、ボストンでの第5戦。前日のさよなら勝ちの勢いで形勢を逆転したい赤軍と、その流れを止めたいヤ軍。先発はエース対決(ムッシーナvsマルティネス炎)となった。
マルティネスは、気合の入った素晴らしいピッチングで初回を無失点に抑えた。対するムッシーナはいきなり2点を与えてしまう。アチャー、今日はやっぱ赤軍かー。

と思っていたら、6回、ヤ軍の千両役者ジーターのスリーベースであっさり逆転。やっぱりこの人たちは強い、決まったな。

と思っていたら、8回、赤軍オルティスがホームランを打って1点差。あれ、なんか昨日の最終回と同じ展開?と思っていたらさらに1点追加で同点にっ!恐るべし執念。

またまた延長戦に突入。この時点で開始から4時間以上経過で、解説者も見ているほうも疲れてきた。。。10回、11回、、、とまったく点が入らないまま迎えた14回、 「今日は負けでもいいから終らせて」というえみぃの祈りが通じたのか、さよならで赤軍が勝利。
まぁ、次からヤンキースタジアムだしさ、依然として3-2でヤ軍が優勢だしさ、ということで良しとしましょう。

しかし、優勝がかかった試合とはいえ、ファンの応援がすごい。熱い!興奮してみんなジャンプすると、球場がゆれちゃうんだってよ~。最終回なんて、球場が壊れそうだったもん。 あと、松井が打席に立ったときのブーイングもすごい。これはかなり感動キラキラ 今日は見せ場はなかったけど、明日はがんばってね~。

そうそう、今日はちらっと「Who's your PAPI?」っていうボードが見えたけど、PAPIってなんだろう?
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