朝6時30分、ぐっすり眠ったえみぃは気持ちよく目覚めた。
オットはほとんど眠れなかったらしく、既に起きていた。「サイドブレーキ、ちゃんと踏んだかな(ステップは踏み込み式なのだ)」って気になったり、車が来るたびに音が気になって眠れないらしい。おデリケートなのよね。
SAで朝食をいただいてから出発。25日の旅程は、前半が史跡めぐりで後半は海の幸。
常磐自動車道を北に向かい、いわきJCで磐越自動車道に入り、船引三春ICで降り、そこからは下道で二本松市にある、小浜城に向かった。
CSで再放送してた「独眼竜政宗」を見まくっていたえみぃ達、本当は仙台に行って政宗の史跡をめぐりたかった。でも、仙台は1泊旅行では遠すぎた。そこで、福島の史跡をめぐることにしたのだ。
山の中にあるのに小浜?という名前は不思議な感じだけど、城を建立した大内氏の旧領が若狭国小浜で、そこと似てたから「小浜」と名づけられたという節があるらしい。
大内氏は最初石橋氏の家臣だったけど、主人が亡くなったときに子供を追い出して領地をのっとり、近くにある小手森城も手に入れちゃったちゃかり者。独眼竜ではえみぃの好きな寺田農さんが、ちゃっかり&ずるがしこい感じをしっかり演じてらっしゃって素敵
。でも、伊達政宗が天下の副将軍まで上りつめたのは大内定綱のおかげという話があるほど、かしこい人だったらしい。
その後は蘆名氏や佐竹氏に従属。伊達政宗が18歳で家督相続をしたとき、当時の城主であった大内定綱が政宗に従属の意を表すもこれを裏切り、政宗の逆鱗に触れて攻められる。攻められたお城は支城である小手森城、政宗は3日で小手森城を落とし、城内に残った八百有余人を惨殺。近隣の諸将を震え上がらせたという。大内定綱もビビって小浜城に火をつけて二本松城に逃げたという、そんなお城なのだ。

それ以外にも歴史的エピソードがいっぱいあるお城なんだけど、今は石垣を残すのみ。石垣の前に説明の看板が1枚あるだけで、これもたぶん、独眼竜政宗が放映された頃にあわてて作られたんじゃないか?って感じで、ちょっと寂しい城だった。
でも、あの人やこの人がここに居たかも?と思うと、なんとなくうれしくなるえみぃ達なのだ。
次は畠山氏の居城で、戊辰戦争のときに悲劇の城となり、今は菊祭りで有名な二本松城へ。
その菊祭りは23日で終了!残念。
奥州探題畠山国氏が居住したのが始まりで、畠山氏140年間の居城だった。
畠山義継のときに、政宗が攻めて攻めて攻めまくってやっとこさ落城(この間に父輝宗を亡くすのよね)。伊達成実(政宗のいとこ)が入城する。その後、豊臣秀吉の奥州仕置によって蒲生氏郷領となり、そのときに大きく拡張されたらしい。その後も会津領として、上杉・蒲生・加藤氏の仙道方面(福島県中通り)に対する備えの重要な城として、幕末まで栄えた。戊辰戦争のときには、二本松少年隊という白虎隊より年少の子供たちの隊が組織され、全員が亡くなり、お城も灰になってしまったという、悲しいお城でもあるのだ。東北の歴史に興味ない人はふーんって感じ?
でも、赤字のところはちと重要なんで詳しく書くと、畠山義継は大内定綱に組して伊達と敵対していたんだけど、政宗の攻撃で定綱が逃げちゃったため、伊達政宗の父輝宗に和睦を申し出た。しかーし、和睦の条件があまりにも厳しく(子供を人質に出した上、領地のほとんどを没収)て承服しかねた義継、和睦のお礼参りと見せかけて輝宗を人質に取り、政宗に揺さぶりをかけ、援軍の到着を待って情勢を変えようとしたちょっぴりずるい人なのだ。でも援軍は来ず、政宗によって滅ぼされるのだ。当然輝宗も死んじゃって、政宗としてはオーマイガって感じ?
輝宗の弔い合戦じゃ!って意気込んで二本松城を攻めた政宗だけど、堅固な城でなかなか落とせなくて、苦労するのよね。結局は落とすんだけど。

小浜城とは違い、入り口から立派なたたずまい。
首のない一豊と千代に出迎えられて場内へ入ると、場内は菊祭りの後片付けの人でいっぱい。ベニヤや材木をバッタンバッタン外している脇を抜けて、本丸へと向かった。
菊祭り付近を抜けると、きれいに紅葉したモミジやイチョウが並んだ庭園が広がっていた。三脚にカメラをセットして、芸術写真をねらってるおじさんおばさんがいっぱい居た。えみぃもっ!と思ったけど、ここいいなぁと思うところは人がいるわけで、新参者には良い場所は取れないわけで、、、。
二本松城は山一つの大きさがあって、本丸までは急坂&遠い。ぐだぐだ言いながらもたどり着いたら、すごくいい景色だった。でもほんと、堅固な城で攻めあぐねたわ。
名残を惜しみながら次にむかったのは、畠山義継と伊達輝宗生害(死んだところっていう意味ね)の地「粟ノ巣古戦場跡」へ。

なんか「○○家墓地」みたいな雰囲気。近くには新幹線も通っちゃってるし、なんだかなぁ(by阿藤快)。
近くに住む人の口伝えで「ここらしい」という話はずっとあったみたいだけど、何もなかったんだってー。昭和に入ってから畠山氏とともにここで亡くなった家臣の末裔の人が個人で作ったらしい。今は「守る会」があって、清掃なんかをしてるみたい。
戦国時代と言えど、2人の領主が一緒に亡くなるっていうのは極まれらしいし、政宗が領主として始めての試練の場と言っても良い場所だし、大事にしなくちゃいけない場所よね。
本当は、政宗と輝宗と義継ごっこがしたかったの。
人質となり、義継にはがいじめにされた輝宗(北大路欣也)が政宗(渡辺謙)に向かって「人質に取られるは末代までの恥辱、(自分もろとも)撃てーーーー!」って言ったシーンの再現。やりたかったわぁ。
けど、2人じゃできないのであきらめて次の史跡へ。
次は、「奥州の桶狭間」と言われ、政宗が生きるか死ぬかの大戦をした場所、人取橋古戦場へ。

輝宗の死後、二本松城を攻めあぐねて一旦退却した政宗に対し、佐竹・蘆名を中心とした「反伊達連合」が結成された。およそ3万の進軍を知った政宗は、8千の軍勢を率いて出陣。会津海道と奥羽海道の交わる要衝の地で、政宗自身が後に「マジでヤベェと思った。チョー肝冷えた」と言った「人取橋の戦い」が始まったのだ。
激しい戦闘の中、伊達成実の奮闘で伊達軍が優勢になるも、連合軍に押し返され、日没時に政宗は死を覚悟したらしい。
ところが、佐竹氏の領内に留守を狙った近隣諸国の軍が攻め入ったという報が入り、翌日、連合軍が引き上げてしまって、政宗は九死に一生を得ることに。さらにこの戦いで連合軍に屈しなかった政宗は、負け戦と言っても過言ではない結果だったけど、名を上げたのだ。ひゃっほー。
この戦いで人が多く討ち取られたことから人取橋の名がつけられ、今では政宗の家臣の名前を冠した「もにわばし」になってる。
この戦いで命を落としかけた政宗を、鬼庭(おにわ)良直という家臣が命がけで助けた。後に良直の息子が秀吉に「鬼が庭にいるなんて不吉ー。茂庭(もにわ)って言う名前を与えるから、使ってちょ」と言われたことから茂庭氏となって、そういう訳で橋には「もにわばし」になったのだ。
○○橋→人取橋→茂庭橋と2回も名前が変わった橋。そして、歴史的に重要な橋。だけどちっこい普通の橋。さみしー。
というわけで、えみぃとオットの気が済んでお腹が減ったので、海の幸を目指して小名浜へGO!船引三春ICから磐越自動車道でいわき市へ。1時間半ほどで着いた。
いわき・ら・ら・ミュウという施設内の、回転寿司おのざきでお昼。また回転寿司かっ!
単なる回転寿司と思ってもらっちゃ困りますー。ここは鮮魚専門店直営なんです。だからチョー新鮮なんですっ。そーなんです。
前日のところはネタのでっかさに驚いたけど、ここは種類の多さにビックリ!
オットは、オコゼだのアイナメだのめずらしい白身やヒラマサだの関アジだの高級なヒカリモノをガンガン食べて「あれ、今食べたのなんだっけ?」という有様。
えみぃは活ホッキ貝だのミル貝だの赤貝だの、大好きな貝をほおばってご満悦。一番おいしかったのは牡蠣酢。生牡蠣にポン酢ともみじおろしがかかってるの。んもーちょーーーーおいしかった。
あまりのおいしさに、前日に引き続きありえない枚数を食べてしまった。
満腹&満足で、市場を散歩。
いわきは「メヒカリ」っていう深海魚がいっぱいとれるらしく、メヒカリの丸干しってのがあちこちで売られてる。あとはサンマとかアンコウとかサケとかマグロとかたくさんの魚介類が並んでた。そんな中、えみぃの目に留まったのは牡蠣!
手のひらサイズのおっきな牡蠣を割ってるおにいさんがいる。そしてその牡蠣をお客さんに手渡してる!ナナナント試食?!芸能人でもないのにーと思ってよく見たら、1個300円と書いてある。
ってことは、300円出せば、えみぃも貝殻のついた牡蠣を食べられるってことー?夢だったのよねーこういうの。うるうるした目でオットを見ると、最初は「えぇ(めんどくせ)?」って感じだったけど、「オレも食べる」と言う。
おにいさんに600円を渡すと、見事な手つきであっという間にむいてくれた。あまりの早さで心の準備ができない&大きさにビビって、1個目をオットに譲った。
早速口にしたオットが「ショッパっ」と言ったのを見ていたおじさんが「しょっぱいの?」「レモン絞ればおいしいのに」と絡んできた。おじさんへの対応に難儀しているオットをほったらかして、えみぃの目は牡蠣にクギズケ。
おにいさん「はい、どうぞ」
と、手渡された牡蠣はこちら。

あれ、さっきのより小さいみたい。。。でも、今まで見たこともない大きさだ。さぁいただきましょうと思ったけど、どこから飲んでいいかわからない。おまけにオットに絡んでいたおじさんも「今度はどんなリアクションだ」とばかりにえみぃを凝視。食べにくいーーー。
おじさんにちょっぴり背を向けて、ふくらんでるところをつまんで口に入れ、つるっと飲んだ。
えみぃ「・・・・・・
」
美味しすぎて、言葉が出なかった。
ぜんぜんしょっぱくなかったよ。もう1個食べたかったけど、さすがにお腹がパンパンだったんで、あきらめた。
それから、おみやげを買って、帰路についた。3時過ぎに小名浜を出て、宇都宮から佐野まで東北自動車道を通って、「モスバーガーが食べたい」という理由でずっと下道で帰った。家に着いたのは10時30分。
走行距離は2日で1,050キロ。あほやー。
翌日はさすがに疲れてて、1日ゴロゴロ。そうして、えみぃとオットの四連休は終わったのだった。
せっかくの四連休、ちゃんと計画してもっとゆっくり旅行したかったなぁって気もしたけど、おいしいものをいっぱい食べて、マイブームの政宗の歴史にも触れられたし、まぁいっかと思う、今日この頃なのだ。
オットはほとんど眠れなかったらしく、既に起きていた。「サイドブレーキ、ちゃんと踏んだかな(ステップは踏み込み式なのだ)」って気になったり、車が来るたびに音が気になって眠れないらしい。おデリケートなのよね。
SAで朝食をいただいてから出発。25日の旅程は、前半が史跡めぐりで後半は海の幸。
常磐自動車道を北に向かい、いわきJCで磐越自動車道に入り、船引三春ICで降り、そこからは下道で二本松市にある、小浜城に向かった。
CSで再放送してた「独眼竜政宗」を見まくっていたえみぃ達、本当は仙台に行って政宗の史跡をめぐりたかった。でも、仙台は1泊旅行では遠すぎた。そこで、福島の史跡をめぐることにしたのだ。
山の中にあるのに小浜?という名前は不思議な感じだけど、城を建立した大内氏の旧領が若狭国小浜で、そこと似てたから「小浜」と名づけられたという節があるらしい。
大内氏は最初石橋氏の家臣だったけど、主人が亡くなったときに子供を追い出して領地をのっとり、近くにある小手森城も手に入れちゃったちゃかり者。独眼竜ではえみぃの好きな寺田農さんが、ちゃっかり&ずるがしこい感じをしっかり演じてらっしゃって素敵

その後は蘆名氏や佐竹氏に従属。伊達政宗が18歳で家督相続をしたとき、当時の城主であった大内定綱が政宗に従属の意を表すもこれを裏切り、政宗の逆鱗に触れて攻められる。攻められたお城は支城である小手森城、政宗は3日で小手森城を落とし、城内に残った八百有余人を惨殺。近隣の諸将を震え上がらせたという。大内定綱もビビって小浜城に火をつけて二本松城に逃げたという、そんなお城なのだ。

それ以外にも歴史的エピソードがいっぱいあるお城なんだけど、今は石垣を残すのみ。石垣の前に説明の看板が1枚あるだけで、これもたぶん、独眼竜政宗が放映された頃にあわてて作られたんじゃないか?って感じで、ちょっと寂しい城だった。
でも、あの人やこの人がここに居たかも?と思うと、なんとなくうれしくなるえみぃ達なのだ。
次は畠山氏の居城で、戊辰戦争のときに悲劇の城となり、今は菊祭りで有名な二本松城へ。
その菊祭りは23日で終了!残念。
奥州探題畠山国氏が居住したのが始まりで、畠山氏140年間の居城だった。
畠山義継のときに、政宗が攻めて攻めて攻めまくってやっとこさ落城(この間に父輝宗を亡くすのよね)。伊達成実(政宗のいとこ)が入城する。その後、豊臣秀吉の奥州仕置によって蒲生氏郷領となり、そのときに大きく拡張されたらしい。その後も会津領として、上杉・蒲生・加藤氏の仙道方面(福島県中通り)に対する備えの重要な城として、幕末まで栄えた。戊辰戦争のときには、二本松少年隊という白虎隊より年少の子供たちの隊が組織され、全員が亡くなり、お城も灰になってしまったという、悲しいお城でもあるのだ。東北の歴史に興味ない人はふーんって感じ?
でも、赤字のところはちと重要なんで詳しく書くと、畠山義継は大内定綱に組して伊達と敵対していたんだけど、政宗の攻撃で定綱が逃げちゃったため、伊達政宗の父輝宗に和睦を申し出た。しかーし、和睦の条件があまりにも厳しく(子供を人質に出した上、領地のほとんどを没収)て承服しかねた義継、和睦のお礼参りと見せかけて輝宗を人質に取り、政宗に揺さぶりをかけ、援軍の到着を待って情勢を変えようとしたちょっぴりずるい人なのだ。でも援軍は来ず、政宗によって滅ぼされるのだ。当然輝宗も死んじゃって、政宗としてはオーマイガって感じ?
輝宗の弔い合戦じゃ!って意気込んで二本松城を攻めた政宗だけど、堅固な城でなかなか落とせなくて、苦労するのよね。結局は落とすんだけど。

小浜城とは違い、入り口から立派なたたずまい。
首のない一豊と千代に出迎えられて場内へ入ると、場内は菊祭りの後片付けの人でいっぱい。ベニヤや材木をバッタンバッタン外している脇を抜けて、本丸へと向かった。
菊祭り付近を抜けると、きれいに紅葉したモミジやイチョウが並んだ庭園が広がっていた。三脚にカメラをセットして、芸術写真をねらってるおじさんおばさんがいっぱい居た。えみぃもっ!と思ったけど、ここいいなぁと思うところは人がいるわけで、新参者には良い場所は取れないわけで、、、。
二本松城は山一つの大きさがあって、本丸までは急坂&遠い。ぐだぐだ言いながらもたどり着いたら、すごくいい景色だった。でもほんと、堅固な城で攻めあぐねたわ。
名残を惜しみながら次にむかったのは、畠山義継と伊達輝宗生害(死んだところっていう意味ね)の地「粟ノ巣古戦場跡」へ。

なんか「○○家墓地」みたいな雰囲気。近くには新幹線も通っちゃってるし、なんだかなぁ(by阿藤快)。
近くに住む人の口伝えで「ここらしい」という話はずっとあったみたいだけど、何もなかったんだってー。昭和に入ってから畠山氏とともにここで亡くなった家臣の末裔の人が個人で作ったらしい。今は「守る会」があって、清掃なんかをしてるみたい。
戦国時代と言えど、2人の領主が一緒に亡くなるっていうのは極まれらしいし、政宗が領主として始めての試練の場と言っても良い場所だし、大事にしなくちゃいけない場所よね。
本当は、政宗と輝宗と義継ごっこがしたかったの。
人質となり、義継にはがいじめにされた輝宗(北大路欣也)が政宗(渡辺謙)に向かって「人質に取られるは末代までの恥辱、(自分もろとも)撃てーーーー!」って言ったシーンの再現。やりたかったわぁ。
けど、2人じゃできないのであきらめて次の史跡へ。
次は、「奥州の桶狭間」と言われ、政宗が生きるか死ぬかの大戦をした場所、人取橋古戦場へ。

輝宗の死後、二本松城を攻めあぐねて一旦退却した政宗に対し、佐竹・蘆名を中心とした「反伊達連合」が結成された。およそ3万の進軍を知った政宗は、8千の軍勢を率いて出陣。会津海道と奥羽海道の交わる要衝の地で、政宗自身が後に「マジでヤベェと思った。チョー肝冷えた」と言った「人取橋の戦い」が始まったのだ。
激しい戦闘の中、伊達成実の奮闘で伊達軍が優勢になるも、連合軍に押し返され、日没時に政宗は死を覚悟したらしい。
ところが、佐竹氏の領内に留守を狙った近隣諸国の軍が攻め入ったという報が入り、翌日、連合軍が引き上げてしまって、政宗は九死に一生を得ることに。さらにこの戦いで連合軍に屈しなかった政宗は、負け戦と言っても過言ではない結果だったけど、名を上げたのだ。ひゃっほー。
この戦いで人が多く討ち取られたことから人取橋の名がつけられ、今では政宗の家臣の名前を冠した「もにわばし」になってる。
この戦いで命を落としかけた政宗を、鬼庭(おにわ)良直という家臣が命がけで助けた。後に良直の息子が秀吉に「鬼が庭にいるなんて不吉ー。茂庭(もにわ)って言う名前を与えるから、使ってちょ」と言われたことから茂庭氏となって、そういう訳で橋には「もにわばし」になったのだ。
○○橋→人取橋→茂庭橋と2回も名前が変わった橋。そして、歴史的に重要な橋。だけどちっこい普通の橋。さみしー。
というわけで、えみぃとオットの気が済んでお腹が減ったので、海の幸を目指して小名浜へGO!船引三春ICから磐越自動車道でいわき市へ。1時間半ほどで着いた。
いわき・ら・ら・ミュウという施設内の、回転寿司おのざきでお昼。また回転寿司かっ!
単なる回転寿司と思ってもらっちゃ困りますー。ここは鮮魚専門店直営なんです。だからチョー新鮮なんですっ。そーなんです。
前日のところはネタのでっかさに驚いたけど、ここは種類の多さにビックリ!
オットは、オコゼだのアイナメだのめずらしい白身やヒラマサだの関アジだの高級なヒカリモノをガンガン食べて「あれ、今食べたのなんだっけ?」という有様。
えみぃは活ホッキ貝だのミル貝だの赤貝だの、大好きな貝をほおばってご満悦。一番おいしかったのは牡蠣酢。生牡蠣にポン酢ともみじおろしがかかってるの。んもーちょーーーーおいしかった。
あまりのおいしさに、前日に引き続きありえない枚数を食べてしまった。
満腹&満足で、市場を散歩。
いわきは「メヒカリ」っていう深海魚がいっぱいとれるらしく、メヒカリの丸干しってのがあちこちで売られてる。あとはサンマとかアンコウとかサケとかマグロとかたくさんの魚介類が並んでた。そんな中、えみぃの目に留まったのは牡蠣!
手のひらサイズのおっきな牡蠣を割ってるおにいさんがいる。そしてその牡蠣をお客さんに手渡してる!ナナナント試食?!芸能人でもないのにーと思ってよく見たら、1個300円と書いてある。
ってことは、300円出せば、えみぃも貝殻のついた牡蠣を食べられるってことー?夢だったのよねーこういうの。うるうるした目でオットを見ると、最初は「えぇ(めんどくせ)?」って感じだったけど、「オレも食べる」と言う。
おにいさんに600円を渡すと、見事な手つきであっという間にむいてくれた。あまりの早さで心の準備ができない&大きさにビビって、1個目をオットに譲った。
早速口にしたオットが「ショッパっ」と言ったのを見ていたおじさんが「しょっぱいの?」「レモン絞ればおいしいのに」と絡んできた。おじさんへの対応に難儀しているオットをほったらかして、えみぃの目は牡蠣にクギズケ。
おにいさん「はい、どうぞ」
と、手渡された牡蠣はこちら。

あれ、さっきのより小さいみたい。。。でも、今まで見たこともない大きさだ。さぁいただきましょうと思ったけど、どこから飲んでいいかわからない。おまけにオットに絡んでいたおじさんも「今度はどんなリアクションだ」とばかりにえみぃを凝視。食べにくいーーー。
おじさんにちょっぴり背を向けて、ふくらんでるところをつまんで口に入れ、つるっと飲んだ。
えみぃ「・・・・・・

美味しすぎて、言葉が出なかった。
ぜんぜんしょっぱくなかったよ。もう1個食べたかったけど、さすがにお腹がパンパンだったんで、あきらめた。
それから、おみやげを買って、帰路についた。3時過ぎに小名浜を出て、宇都宮から佐野まで東北自動車道を通って、「モスバーガーが食べたい」という理由でずっと下道で帰った。家に着いたのは10時30分。
走行距離は2日で1,050キロ。あほやー。
翌日はさすがに疲れてて、1日ゴロゴロ。そうして、えみぃとオットの四連休は終わったのだった。
せっかくの四連休、ちゃんと計画してもっとゆっくり旅行したかったなぁって気もしたけど、おいしいものをいっぱい食べて、マイブームの政宗の歴史にも触れられたし、まぁいっかと思う、今日この頃なのだ。